東北大学農学部跡地が一部引き渡されました。
約1年半かかり解体された東北大学農学部跡地の一部は整地も終わり購入業者に引き渡されたようです。
北東角のエリアではすでにマンション工事が始まりました。
南東のエリア、イオンモール建設予定地は土壌汚染が予測より多く、土壌改良?に時間がかかったようで、地面を深く掘り下げて土を入れ替えていました。こちらもだいたい終わった様子です。
高い塀が撤去され、広い空間が出現しています。市街地でこれだけ広い敷地はここが最初で最後でしょう。








雨宮神社だけ昔のままです。

この地に農学部ができたのが1947年、その前はここに旧制二高がありました。旧制二高はそれ以前は片平にありましたが、東北帝国大学が同じ片平に創設された為、片平が手狭になってしまいました。ここで地元の名士、伊沢平左衛門氏が「お国の教育の為ならわたしの土地を無償で提供しましょう」とこの地を寄付したとのことです(大和田 雅人著 「四ツ谷用水 光と影 仙台・消えた遺産を追う」から)。
一個人がお国の為に寄付した土地に、時代は変わったといえショッピングモールやマンションが建つ。なんとなくしっくりしません。しかし青葉山に移転した東北大農学部が、そして農学部以外の学部も新しい研究施設で今迄以上の研究、教育を実践してもらえれば皆が納得するのではないかと感じてます。
北東角のエリアではすでにマンション工事が始まりました。
南東のエリア、イオンモール建設予定地は土壌汚染が予測より多く、土壌改良?に時間がかかったようで、地面を深く掘り下げて土を入れ替えていました。こちらもだいたい終わった様子です。
高い塀が撤去され、広い空間が出現しています。市街地でこれだけ広い敷地はここが最初で最後でしょう。








雨宮神社だけ昔のままです。

この地に農学部ができたのが1947年、その前はここに旧制二高がありました。旧制二高はそれ以前は片平にありましたが、東北帝国大学が同じ片平に創設された為、片平が手狭になってしまいました。ここで地元の名士、伊沢平左衛門氏が「お国の教育の為ならわたしの土地を無償で提供しましょう」とこの地を寄付したとのことです(大和田 雅人著 「四ツ谷用水 光と影 仙台・消えた遺産を追う」から)。
一個人がお国の為に寄付した土地に、時代は変わったといえショッピングモールやマンションが建つ。なんとなくしっくりしません。しかし青葉山に移転した東北大農学部が、そして農学部以外の学部も新しい研究施設で今迄以上の研究、教育を実践してもらえれば皆が納得するのではないかと感じてます。
銀座3丁目の路地。
岡本哲志氏の「東京 路地裏ブラ歩き」をバイブルとし、この一年で一通り主だった路地は歩いてきたつもりです。
これからは書物に載っていない、いい路地を見つけていければと思います。
先日銀座を歩いていて、一つだけまだ歩いていない路地があったことを思い出しました。「東京 路地裏ブラ歩き」に記載されている「銀座モリタビル」と「STB9ビル」の間から入る路地です。
「煉瓦街の跡」「2階建ての木造家屋」などそそる言葉での紹介が同書に載っていますが、実は今迄探すことができませんでした。この路地の出口は丁度、登亭さん裏の「宝童稲荷神社」のある路地の松屋通りを挟んだ向かい側です。
松屋通り側から路地を覗いてみます。
西側が工事中の為あまりに狭く、部外者は侵入できない雰囲気です。


これ以上は進めませんでしたので「STB9ビル」、現在は「サカイリ9ビル」側から入ってみます。
こちらも北側、西側は工事中でフェンスの為、狭すぎて進入困難でした。



仕方のないことですが特に銀座は風情のある建物が壊され、次々新しいビルに変わっていきます。周辺の工事中のビルが完成した際にこの路地がどうなっているのか、その頃また訪れたいと思います。
これからは書物に載っていない、いい路地を見つけていければと思います。
先日銀座を歩いていて、一つだけまだ歩いていない路地があったことを思い出しました。「東京 路地裏ブラ歩き」に記載されている「銀座モリタビル」と「STB9ビル」の間から入る路地です。
「煉瓦街の跡」「2階建ての木造家屋」などそそる言葉での紹介が同書に載っていますが、実は今迄探すことができませんでした。この路地の出口は丁度、登亭さん裏の「宝童稲荷神社」のある路地の松屋通りを挟んだ向かい側です。
松屋通り側から路地を覗いてみます。
西側が工事中の為あまりに狭く、部外者は侵入できない雰囲気です。


これ以上は進めませんでしたので「STB9ビル」、現在は「サカイリ9ビル」側から入ってみます。
こちらも北側、西側は工事中でフェンスの為、狭すぎて進入困難でした。



仕方のないことですが特に銀座は風情のある建物が壊され、次々新しいビルに変わっていきます。周辺の工事中のビルが完成した際にこの路地がどうなっているのか、その頃また訪れたいと思います。