東京、佃の路地。
東京、佃の路地です。
今迄歩いた東京の路地で一番路地らしい路地と感じました。
昔ここは隅田川河口の島でした。徳川家康が江戸に入城する際、摂津「佃村」の漁民達を呼び寄せ漁業権を与えたことから「佃島」と呼ばれるようになったとのことです。本能寺の変の際、堺にいた家康が岡崎城に戻るのを摂津・佃村の漁民達が助けたという経緯があったようです。
現在の佃は北側にタワーマンションが林立し、南側は月島のもんじゃストリートで賑わっていますが、佃1丁目のブロックのみひっそりと昔の佇まいが残っており周辺とは別世界です。
有名な佃天台地蔵尊の路地から。
路地の中、それも家の中に銀杏の木が残っています。




少し離れて眺めると密集した住宅の真ん中に大きな銀杏の木が見えます。

赤い佃小橋の架かる船溜まりの両側に路地が多数通っています。





どの路地もこざっぱりで清潔です。新しい家や佃煮の店もありますが基本的にはすべて住居であり、人の手が入っていない昔のまんまの路地を感じます。
今迄歩いた東京の路地で一番路地らしい路地と感じました。
昔ここは隅田川河口の島でした。徳川家康が江戸に入城する際、摂津「佃村」の漁民達を呼び寄せ漁業権を与えたことから「佃島」と呼ばれるようになったとのことです。本能寺の変の際、堺にいた家康が岡崎城に戻るのを摂津・佃村の漁民達が助けたという経緯があったようです。
現在の佃は北側にタワーマンションが林立し、南側は月島のもんじゃストリートで賑わっていますが、佃1丁目のブロックのみひっそりと昔の佇まいが残っており周辺とは別世界です。
有名な佃天台地蔵尊の路地から。
路地の中、それも家の中に銀杏の木が残っています。




少し離れて眺めると密集した住宅の真ん中に大きな銀杏の木が見えます。

赤い佃小橋の架かる船溜まりの両側に路地が多数通っています。






どの路地もこざっぱりで清潔です。新しい家や佃煮の店もありますが基本的にはすべて住居であり、人の手が入っていない昔のまんまの路地を感じます。
京都の路地。
先日所用で京都に行ってきました。私が路地歩きに興味をもってからは初めての京都です。
江戸東京の町造りは京の都を手本に造られました。特に日本橋、京橋、銀座といった町人町は京間六十間(118m)の町割りが今でも残っており、特に京橋にはこの中を通る路地が多く残っています。
今回の京都は仕事の合間の時間はほとんどなかった為、予習なしで歩いてみました。

白川に沿って歩きます。少し勉強してみましたが琵琶湖疎水と白川の関係がまだ理解できていません。
手摺のない白川沿いの路地。
酔っぱらって川に落ちる人がいないのか不思議です。

少しそれると普通に路地が。


川に架かる一本橋も怖くて渡れません。

祇園付近へ。川に架かる自宅への橋。珍しい光景です。そういえば仙台の四ツ谷用水跡にも同じような個人宅の玄関に架かる橋がありました。現在の建築法上はどうなっているのでしょう。

祇園の路地。ここは観光地です。


少し南下して「あじき路地」まで。

さすが京都は町自体に歴史を感じます。路地の元祖ですから探さなくても普通に路地があります。
もしまた来る事があれば予習して路地歩きをしたいと思います。
江戸東京の町造りは京の都を手本に造られました。特に日本橋、京橋、銀座といった町人町は京間六十間(118m)の町割りが今でも残っており、特に京橋にはこの中を通る路地が多く残っています。
今回の京都は仕事の合間の時間はほとんどなかった為、予習なしで歩いてみました。

白川に沿って歩きます。少し勉強してみましたが琵琶湖疎水と白川の関係がまだ理解できていません。
手摺のない白川沿いの路地。
酔っぱらって川に落ちる人がいないのか不思議です。

少しそれると普通に路地が。


川に架かる一本橋も怖くて渡れません。

祇園付近へ。川に架かる自宅への橋。珍しい光景です。そういえば仙台の四ツ谷用水跡にも同じような個人宅の玄関に架かる橋がありました。現在の建築法上はどうなっているのでしょう。

祇園の路地。ここは観光地です。


少し南下して「あじき路地」まで。

さすが京都は町自体に歴史を感じます。路地の元祖ですから探さなくても普通に路地があります。
もしまた来る事があれば予習して路地歩きをしたいと思います。