仙台市、小田原の路地。
路地に興味を持ち始めた頃、ネットで仙台の路地を検索していてこんな動画を見つけました。
仙台 路地 小田原
自転車で小田原の路地を走っているらしき動画です。
これを見て、「あ、あの路地だ」、と懐かしくなりました。
約40年前、小学生の頃。この辺りを自転車で走り廻っていましたが、この路地を通っていた記憶があります。



住宅地の中のなにげない路地ですが、狭さといい青いブリキの塀といいとても路地らしい路地です。
大正元年の地図をみると、現在の高松通りから東側は小田原田んぼといって田んぼが広がっていたようです。

この路地は田んぼの中の畦道が残り路地となったと思われます。
仙台 路地 小田原
自転車で小田原の路地を走っているらしき動画です。
これを見て、「あ、あの路地だ」、と懐かしくなりました。
約40年前、小学生の頃。この辺りを自転車で走り廻っていましたが、この路地を通っていた記憶があります。






住宅地の中のなにげない路地ですが、狭さといい青いブリキの塀といいとても路地らしい路地です。
大正元年の地図をみると、現在の高松通りから東側は小田原田んぼといって田んぼが広がっていたようです。

この路地は田んぼの中の畦道が残り路地となったと思われます。
仙台市、四ツ谷用水跡の路地。
仙台の路地は多くが水路跡にできたものです。
その中でも真打ちはやはり四ツ谷用水跡の路地と思います。
2年前にブラタモリで紹介されて以来、仙台市民の間にも四ツ谷用水に注目が集まっています。
伊達政宗が築いた仙台の街は、広瀬川から20メートルも高い河岸段丘上に造られた為、広瀬川から直接水を引くことはできませんでした。そこで広瀬川の上流から用水を引き、この水で仙台城下に給水しました。四ツ谷の意味は4つの谷を水道橋で超えていることが由来のようです。仙台市西部の郷六地区から始まり、現在の八幡町、柏木町等を通り、北六通りを東に流れ宮町で梅田川に注いでいました。
現在は暗渠となっていますが、大崎八幡から土橋通りにかけて暗渠が一部路地となっています。
大崎八幡の入口から歩きます。
四ツ谷用水の説明書きがあります。



大崎八幡の階段の手前に橋が架かっており、ここを用水が流れていました。

住宅街の隙間を暗渠が通ります。


何カ所かで住宅入口への専用の小さな橋が架かっています。
とても不思議な光景ですが江戸時代から現在に至っているのでしょう。

春日神社の前で暗渠と沢が立体交差します。四ツ谷用水暗渠の下を四つの沢の一つへくり沢の暗渠が流れています。

ここから土橋通りまで暗渠の上が路地となっており歩くことができます。



途中、丁度「土橋内科」さんの裏に「洗い場」跡があります。

そのあと土橋通りに突き当たります。そこから東側には進めません。


仙台の歴史を感じるとても素晴らしい場所です。
仙台市民でもここを知らない人は多いのではないでしょうか。
その中でも真打ちはやはり四ツ谷用水跡の路地と思います。
2年前にブラタモリで紹介されて以来、仙台市民の間にも四ツ谷用水に注目が集まっています。
伊達政宗が築いた仙台の街は、広瀬川から20メートルも高い河岸段丘上に造られた為、広瀬川から直接水を引くことはできませんでした。そこで広瀬川の上流から用水を引き、この水で仙台城下に給水しました。四ツ谷の意味は4つの谷を水道橋で超えていることが由来のようです。仙台市西部の郷六地区から始まり、現在の八幡町、柏木町等を通り、北六通りを東に流れ宮町で梅田川に注いでいました。
現在は暗渠となっていますが、大崎八幡から土橋通りにかけて暗渠が一部路地となっています。
大崎八幡の入口から歩きます。
四ツ谷用水の説明書きがあります。



大崎八幡の階段の手前に橋が架かっており、ここを用水が流れていました。

住宅街の隙間を暗渠が通ります。


何カ所かで住宅入口への専用の小さな橋が架かっています。
とても不思議な光景ですが江戸時代から現在に至っているのでしょう。

春日神社の前で暗渠と沢が立体交差します。四ツ谷用水暗渠の下を四つの沢の一つへくり沢の暗渠が流れています。

ここから土橋通りまで暗渠の上が路地となっており歩くことができます。



途中、丁度「土橋内科」さんの裏に「洗い場」跡があります。

そのあと土橋通りに突き当たります。そこから東側には進めません。


仙台の歴史を感じるとても素晴らしい場所です。
仙台市民でもここを知らない人は多いのではないでしょうか。