神楽坂、兵庫横丁。
神楽坂の兵庫横丁です。以前は「かくれんぼ横丁」を歩きました。神楽坂の地図を載せておきます。

寺内公園からスタートです。階段の路地を上ると迷路のような正真正銘の路地が続きます。普通に住民の方が住んでおられる路地です。



兵庫横丁に入ると石畳の階段を曲がりながら下ります。


品のいい料亭、和食のお店、イタリアン等並んでいます。

神楽坂はかくれんぼ横丁といい兵庫横丁といい、石畳、クランク状、高低差あり、そして清潔で風情あり、と路地歩きの楽しさが詰まっています。但しここは観光地で観光客がたくさんいます。銀座の路地のように現地の方と路地歩きマニア以外は知られていない、とはいきません。もちろん仕方ありませんがいい場所だけに私にはそこが少し不満な点です。
ところでなぜ兵庫横丁かというと「兵器を納める庫」、であったとのことです。この場所は鎌倉時代から要塞であったとのこと。江戸時代以前からあったとは知りませんでした。この辺の歴史も少し勉強してみたいと思います。神楽坂ガイド

寺内公園からスタートです。階段の路地を上ると迷路のような正真正銘の路地が続きます。普通に住民の方が住んでおられる路地です。




兵庫横丁に入ると石畳の階段を曲がりながら下ります。



品のいい料亭、和食のお店、イタリアン等並んでいます。

神楽坂はかくれんぼ横丁といい兵庫横丁といい、石畳、クランク状、高低差あり、そして清潔で風情あり、と路地歩きの楽しさが詰まっています。但しここは観光地で観光客がたくさんいます。銀座の路地のように現地の方と路地歩きマニア以外は知られていない、とはいきません。もちろん仕方ありませんがいい場所だけに私にはそこが少し不満な点です。
ところでなぜ兵庫横丁かというと「兵器を納める庫」、であったとのことです。この場所は鎌倉時代から要塞であったとのこと。江戸時代以前からあったとは知りませんでした。この辺の歴史も少し勉強してみたいと思います。神楽坂ガイド
銀座4丁目、宝童稲荷神社への参道の路地。
銀座4丁目の宝童稲荷の前におしゃれでかわいい猿の置物があります。なんだろうと思っていましたが、ここにはなんと稲荷への参道の路地がありました。稲荷側からは気付きにくいのですが、西五番街側からみるとりっぱな参道です。



この路地の名前は「猿結参道 えん むすび さんどう」とのことです。宝童稲荷参道
歴史+ちょっと今的な感覚がとても銀座らしいと思います。



この路地の名前は「猿結参道 えん むすび さんどう」とのことです。宝童稲荷参道
歴史+ちょっと今的な感覚がとても銀座らしいと思います。
青葉神社裏の獣道。
輪王寺から青葉神社、北仙台方面に抜ける道があるはずだ、と今まで彼岸の墓参りの際に探していましたが見つかりませんでした。
今回、西大立目祥子著の「仙台 まち歩き」にこの道が載っているのを見つけました。長年探していたものがやっと見つかったという感じです。
東から歩いてみます。
まず北仙台駅から程近い鹿島香取神社を上ります。

その西隣の光明寺の中へ入ります。


お墓を横切り、東昌寺の東側の道を北上した後左折し北側を西へ進むと青葉神社の裏手の獣道へ。


青葉神社とは直接繋がっていません。
更に西へ進み、覚範寺の裏手を北へ、その後資福寺の裏手から輪王寺に繋がります。



今まで輪王寺から東へ進み、覚範寺から青葉神社の裏手に進む道をみつけられませんでした。
伊達政宗が仙台に城下町を造ったとき、防御のために寺を置いたのがこの北山です。五つの寺は北山五山と呼ばれていたようです。今でもこの北山からは仙台城下が眺められます。
今回、西大立目祥子著の「仙台 まち歩き」にこの道が載っているのを見つけました。長年探していたものがやっと見つかったという感じです。
東から歩いてみます。
まず北仙台駅から程近い鹿島香取神社を上ります。

その西隣の光明寺の中へ入ります。


お墓を横切り、東昌寺の東側の道を北上した後左折し北側を西へ進むと青葉神社の裏手の獣道へ。




青葉神社とは直接繋がっていません。
更に西へ進み、覚範寺の裏手を北へ、その後資福寺の裏手から輪王寺に繋がります。





今まで輪王寺から東へ進み、覚範寺から青葉神社の裏手に進む道をみつけられませんでした。
伊達政宗が仙台に城下町を造ったとき、防御のために寺を置いたのがこの北山です。五つの寺は北山五山と呼ばれていたようです。今でもこの北山からは仙台城下が眺められます。