銀座1丁目の路地その2。
新坂町の路地。
北仙台教会裏の路地は通町を抜け、木町で一旦途切れます。
北山トンネルへの大通りを渡るとまだ路地があります。通町の路地とは連続性はないようです。ここは歩いていて水路跡とすぐわかります。
新坂町、水路跡の路地の動画


秀林寺の南側に続きます。S状のカーブ、谷間を抜けて新坂通りに。

大正の地図でちょうどここが北山方面から流れてくる水路であったことがわかります。

北山トンネルへの大通りを渡るとまだ路地があります。通町の路地とは連続性はないようです。ここは歩いていて水路跡とすぐわかります。
新坂町、水路跡の路地の動画



秀林寺の南側に続きます。S状のカーブ、谷間を抜けて新坂通りに。


大正の地図でちょうどここが北山方面から流れてくる水路であったことがわかります。

銀座1丁目の路地。
江戸時代の銀座は日比谷入り江を埋めたてて出来た幾つもの堀が張り巡らされ、多くの橋が架けられていたようです。
京橋、数寄屋橋、新橋などはその名残りです。銀貨の鋳造所が現在の銀座2丁目に設置され以来この一帯が銀座と呼ばれるようになりました。明治の大火、大戦後を経て、切り売りされましたが江戸時代からの路地の文化は継承され現在も多くの路地が残っています。
銀座1~2丁目の路地です。
鍵型の路地です。珍しい形です。周りは近代的なビルばかりです。誰も利用しないような路地。鍵型といえば城下町で敵の侵入を防ぐためのものというイメージですが。なぜこのような形で残ったのでしょうか?


隣のブロックの路地。なんと「オザミ・デ・ヴァン」さんがありました。昨年ここに移転したとのこと。知りませんでした。以前の2丁目のお店も路地に面しておりとても趣のあるお店でした。移転先は柳通りに面した近代的なビルですが片方は路地に面しており偶然でしょうがとても嬉しくなります。


1丁目の僅か2ブロックでこれだけの路地です。
京橋、数寄屋橋、新橋などはその名残りです。銀貨の鋳造所が現在の銀座2丁目に設置され以来この一帯が銀座と呼ばれるようになりました。明治の大火、大戦後を経て、切り売りされましたが江戸時代からの路地の文化は継承され現在も多くの路地が残っています。
銀座1~2丁目の路地です。
鍵型の路地です。珍しい形です。周りは近代的なビルばかりです。誰も利用しないような路地。鍵型といえば城下町で敵の侵入を防ぐためのものというイメージですが。なぜこのような形で残ったのでしょうか?



隣のブロックの路地。なんと「オザミ・デ・ヴァン」さんがありました。昨年ここに移転したとのこと。知りませんでした。以前の2丁目のお店も路地に面しておりとても趣のあるお店でした。移転先は柳通りに面した近代的なビルですが片方は路地に面しており偶然でしょうがとても嬉しくなります。



1丁目の僅か2ブロックでこれだけの路地です。
通町の路地は水路跡?鉄道跡?
大正時代の仙台市の地図をみると現在の通町に競馬場があったようです。

(100年前の仙台を歩く 仙台地図さんぽ から)
そして昭和初期の仙台市の地図ではこの場所は仙台鉄道の始発駅がありました。

(地図でたどる昭和の仙台 から)
仙台鉄道に関しては詳しくそして面白いブログがありました。
仙台鉄道1
「北仙台教会裏の路地はもしかしたら仙台鉄道の軌道跡かもという想像がかき立てられる」
というとても趣深いブログです。
現在の仙台銀座は鉄道跡にできたようですので、この路地もほぼ連続しておりなるほど軌道跡なのかなとも思います。

しかし上の大正時代の地図をよく見ると西から競馬場に川が2本流れています。下の川は北九番丁に位置しており、上の川がこの路地に一致しているようです。やはりこの路地は北山方面から流れていた水路跡なのかなと推測されますが。

(100年前の仙台を歩く 仙台地図さんぽ から)
そして昭和初期の仙台市の地図ではこの場所は仙台鉄道の始発駅がありました。

(地図でたどる昭和の仙台 から)
仙台鉄道に関しては詳しくそして面白いブログがありました。
仙台鉄道1
「北仙台教会裏の路地はもしかしたら仙台鉄道の軌道跡かもという想像がかき立てられる」
というとても趣深いブログです。
現在の仙台銀座は鉄道跡にできたようですので、この路地もほぼ連続しておりなるほど軌道跡なのかなとも思います。

しかし上の大正時代の地図をよく見ると西から競馬場に川が2本流れています。下の川は北九番丁に位置しており、上の川がこの路地に一致しているようです。やはりこの路地は北山方面から流れていた水路跡なのかなと推測されますが。
農学部の路地。