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最新記事一覧(サムネイル画像付き)

東北大学農学部跡地が一部引き渡されました。 Jun 24, 2018
銀座3丁目の路地。 Jun 10, 2018
東京、佃の路地。 May 13, 2018
京都の路地。 May 03, 2018
「へくり沢」の暗渠、「あか道」。 Apr 08, 2018
通町水路跡の路地と新坂町水路跡の路地の接点。 Mar 04, 2018
谷根千、荒川区側の路地と富士見坂。 Feb 04, 2018
赤坂の路地。 Jan 21, 2018
谷根千、谷中の路地。 Jan 02, 2018
仙台市、小田原の路地。 Dec 17, 2017
仙台市、四ツ谷用水跡の路地。 Dec 03, 2017
京橋、ビルの合間の路地。 Nov 23, 2017
五反田、島津山の路地。 Nov 12, 2017
その後の東北大学農学部跡地。 Oct 22, 2017
本郷、菊坂周辺の路地。 Oct 09, 2017

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東北大学農学部跡地が一部引き渡されました。

2018-06-24

 約1年半かかり解体された東北大学農学部跡地の一部は整地も終わり購入業者に引き渡されたようです。
 北東角のエリアではすでにマンション工事が始まりました。
 南東のエリア、イオンモール建設予定地は土壌汚染が予測より多く、土壌改良?に時間がかかったようで、地面を深く掘り下げて土を入れ替えていました。こちらもだいたい終わった様子です。 
 高い塀が撤去され、広い空間が出現しています。市街地でこれだけ広い敷地はここが最初で最後でしょう。 
 
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 雨宮神社だけ昔のままです。
 
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 この地に農学部ができたのが1947年、その前はここに旧制二高がありました。旧制二高はそれ以前は片平にありましたが、東北帝国大学が同じ片平に創設された為、片平が手狭になってしまいました。ここで地元の名士、伊沢平左衛門氏が「お国の教育の為ならわたしの土地を無償で提供しましょう」とこの地を寄付したとのことです(大和田 雅人著 「四ツ谷用水 光と影 仙台・消えた遺産を追う」から)。 
 一個人がお国の為に寄付した土地に、時代は変わったといえショッピングモールやマンションが建つ。なんとなくしっくりしません。しかし青葉山に移転した東北大農学部が、そして農学部以外の学部も新しい研究施設で今迄以上の研究、教育を実践してもらえれば皆が納得するのではないかと感じてます。

 

東北大農学部。 コメント: 0 トラックバック: 0

銀座3丁目の路地。

2018-06-10

 岡本哲志氏の「東京 路地裏ブラ歩き」をバイブルとし、この一年で一通り主だった路地は歩いてきたつもりです。
 これからは書物に載っていない、いい路地を見つけていければと思います。

 先日銀座を歩いていて、一つだけまだ歩いていない路地があったことを思い出しました。「東京 路地裏ブラ歩き」に記載されている「銀座モリタビル」と「STB9ビル」の間から入る路地です。
 「煉瓦街の跡」「2階建ての木造家屋」などそそる言葉での紹介が同書に載っていますが、実は今迄探すことができませんでした。この路地の出口は丁度、登亭さん裏の「宝童稲荷神社」のある路地の松屋通りを挟んだ向かい側です。
 松屋通り側から路地を覗いてみます。
 西側が工事中の為あまりに狭く、部外者は侵入できない雰囲気です。
 
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 これ以上は進めませんでしたので「STB9ビル」、現在は「サカイリ9ビル」側から入ってみます。
 こちらも北側、西側は工事中でフェンスの為、狭すぎて進入困難でした。

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 仕方のないことですが特に銀座は風情のある建物が壊され、次々新しいビルに変わっていきます。周辺の工事中のビルが完成した際にこの路地がどうなっているのか、その頃また訪れたいと思います。 

東京・銀座の路地歩き コメント: 0 トラックバック: 0

東京、佃の路地。

2018-05-13

 東京、佃の路地です。
 今迄歩いた東京の路地で一番路地らしい路地と感じました。
 
 昔ここは隅田川河口の島でした。徳川家康が江戸に入城する際、摂津「佃村」の漁民達を呼び寄せ漁業権を与えたことから「佃島」と呼ばれるようになったとのことです。本能寺の変の際、堺にいた家康が岡崎城に戻るのを摂津・佃村の漁民達が助けたという経緯があったようです。

 現在の佃は北側にタワーマンションが林立し、南側は月島のもんじゃストリートで賑わっていますが、佃1丁目のブロックのみひっそりと昔の佇まいが残っており周辺とは別世界です。

 有名な佃天台地蔵尊の路地から。 
 路地の中、それも家の中に銀杏の木が残っています。

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 少し離れて眺めると密集した住宅の真ん中に大きな銀杏の木が見えます。

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 赤い佃小橋の架かる船溜まりの両側に路地が多数通っています。

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 どの路地もこざっぱりで清潔です。新しい家や佃煮の店もありますが基本的にはすべて住居であり、人の手が入っていない昔のまんまの路地を感じます。

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京都の路地。

2018-05-03

 先日所用で京都に行ってきました。私が路地歩きに興味をもってからは初めての京都です。 
 江戸東京の町造りは京の都を手本に造られました。特に日本橋、京橋、銀座といった町人町は京間六十間(118m)の町割りが今でも残っており、特に京橋にはこの中を通る路地が多く残っています。
 
 今回の京都は仕事の合間の時間はほとんどなかった為、予習なしで歩いてみました。
 
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 白川に沿って歩きます。少し勉強してみましたが琵琶湖疎水と白川の関係がまだ理解できていません。
 手摺のない白川沿いの路地。
 酔っぱらって川に落ちる人がいないのか不思議です。

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 少しそれると普通に路地が。

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 川に架かる一本橋も怖くて渡れません。

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 祇園付近へ。川に架かる自宅への橋。珍しい光景です。そういえば仙台の四ツ谷用水跡にも同じような個人宅の玄関に架かる橋がありました。現在の建築法上はどうなっているのでしょう。

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 祇園の路地。ここは観光地です。

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 少し南下して「あじき路地」まで。

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 さすが京都は町自体に歴史を感じます。路地の元祖ですから探さなくても普通に路地があります。
 もしまた来る事があれば予習して路地歩きをしたいと思います。 

 

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「へくり沢」の暗渠、「あか道」。

2018-04-08

 かつて国見の山から八幡を流れ広瀬川に注ぐ川が流れていました。「へくり沢」と呼ばれていたようです。広瀬川に注ぐ尚絅学院脇の谷や、四ツ谷用水と立体交差する春日神社周辺は「ブラタモリ」ですっかり全国区になりました。
 今回は春日神社付近から「へくり沢」跡の「あか道」を上流に登ってみます。

 四ツ谷用水との立体交差地点。
 
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 地区ごとに丁寧な説明文があります。

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 春日神社脇から「あか道」を進みます。 
 昭和40年代に水路が下水道化され、歩行者専用道路となった時に道が赤く塗装された為、「あか道」と呼ばれるようになったとのことです。谷根千、藍染川跡の「へび道」を連想します。
 
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 「あか道」の地面からは水の流れるかなり大きな音が聞こえます。暗渠化されてもかなりの水量が地下を流れていることがわかります。 
 
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 江戸時代の地図をみると結構大きな川であったようです。(「江戸時代の仙台を歩く 仙台地図さんぽ」から)
 
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 大正元年の地図では田んぼの中を流れる小川のように見えます。(「100年前の仙台を歩く 仙台地図さんぽ」から)
 
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 地元の方には当たり前のことでしょうが、こんなところに「あか道」があったとは大きな驚きです。

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通町水路跡の路地と新坂町水路跡の路地の接点。

2018-03-04

 北山五山の麓、北仙台教会裏、通町の路地は昔水路でした。 
 北仙台教会裏を東から西へ進みます。

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 一旦道路となり、酒のやまやさんの裏でまた路地となります。

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 青葉神社通りを横切りまた路地を西へ進みます。

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 しばらく進むと覚範寺下の通りで路地は終点となります。

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 そこから少し南に下り北山トンネルへの大通りを超えると秀林寺の南を通る新坂町、水路跡の路地の入口があります。入口はとても狭く注意しないと気付きません。が、進むとカーブを描くとてもいい路地となります。

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 この二つの路地はともに水路跡ですが南北にズレがあり一見同じ流れではないようです。 
 どう関連しているのか疑問に思っていましたが、偶然古地図で見つけて解決しました。
 
 明治時代の地図では秀林寺南の水路は途中で途絶えています(「100年前の仙台を歩く 仙台地図さんぽ」 から)。
 
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 しかし江戸時代の地図では二つの水路は南北に走る水路でつながっているのがわかります(「江戸時代の仙台を歩く 仙台地地図さんぽ」 から)。
 
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 ここ1年疑問に感じていたことが解決し、嬉しい気分です。

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谷根千、荒川区側の路地と富士見坂。

2018-02-04

 日暮里西口から谷中銀座までの通りから北側は荒川区でした。 
 この辺りは荒川区、文京区、台東区の境界線が複雑に走っています。

 本行寺と経王寺の間の路地です。

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 細長い路地が何カ所かでクランクしており歩いていてわくわくします。

 本行寺は上野台の高台に位置し、景勝地であったことから「月見寺」ともよばれていたとのことです。
 その隣の経王寺は、慶応4年、上野戦争に敗れた彰義隊をこのお寺が匿ったことから新政府軍の攻撃を受けました。山門にはその時の銃弾跡が残っています。
 
 路地を進むと左折し諏訪台通りにでます。
 通りを少し北上すると左手に富士見坂。

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 都内に多くある富士見坂の中で最後まで富士山が見えていたのがこの富士見坂とのこと。しかしビルが多くなりついに富士山が見えなくなってしまいました。その過程が年代ごとに写真で提示されています。

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赤坂の路地。

2018-01-21

 赤坂の路地です。
 赤坂には文字通り多くの坂があり、この坂を通る階段の路地もいくつかみられます。
 今回は赤坂見附に近い3丁目、4丁目の路地です。
 一ツ木通りからみすじ通りに通る路地が平行して何本か通っています。

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 昔(バブル期)と比べると赤坂の街も随分変わったようです。
 夜になれば灯が灯り雰囲気も変わるのでしょう。
 
 一ツ木通りからコロンビア通りへ。途中に丹後坂の階段。
 
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  下りの階段。 

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 この向かい、円通寺通りに抜ける鍵型の路地があります。

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 江戸時代の古地図を見ると(山本博文監修 「古地図で歩く江戸・東京」から)、丹後坂の南側に鍵型の道があります。今回の路地と一致します。丘の上に大名屋敷が、丘の下に小役人の住居があったようです。

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谷根千、谷中の路地。

2018-01-02

 「谷根千」とは谷中、根津、千駄木の頭文字をつなげた造語でこの三地域を指す総称です。以前発刊されていた地域雑誌「谷根千」がその由来となっているようです。
 この辺りには戦災の被害が少なかったこともあり魅力的な路地が多く残っています。また上野台、藍染川の谷、本郷台と起伏に富む地形も魅力的です。
 今回も岡本哲志氏の「東京 路地裏ブラ歩き」「江戸東京の路地」を参考に歩いてみました。 
 地域が広く、いい路地がとても多い為、今回は諏訪台通り両側の路地です。
 諏訪台通り、台東区「まちかど賞」の風情ある町屋。
 
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 諏訪台通りから谷中霊園方向への路地。

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 ここから初音小路裏へでる路地へ。ここはかなり複雑で予習しても1回で理解不能です。

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 日暮里西口からの通りに出る前に左折がポイントです。この路地はgoogle Mapには載っています。

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 僅かなスペースを通り初音小路へ。ノスタルジックですがとても清潔感があります。

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 諏訪台通りを反対側へ。 
 ここから七面坂へ抜ける路地が数本、迷路状に通っています。
 
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 日暮里西口から谷中銀座にかけては地元の人のみならず観光客がとても多い通りです。諏訪台通りも散策する観光客が多くみられました。しかし当然ですが一歩入った路地に人通りはありません。どの路地もとても清潔です。路地にはそこに住まう方の生活感が感じられます。
 路地を歩く際にはそこにお住まいの方の迷惑にならないようにとこれからも心掛けていきたいと思います。

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仙台市、小田原の路地。

2017-12-17

 路地に興味を持ち始めた頃、ネットで仙台の路地を検索していてこんな動画を見つけました。
 仙台 路地 小田原

 自転車で小田原の路地を走っているらしき動画です。
 これを見て、「あ、あの路地だ」、と懐かしくなりました。
 約40年前、小学生の頃。この辺りを自転車で走り廻っていましたが、この路地を通っていた記憶があります。

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 住宅地の中のなにげない路地ですが、狭さといい青いブリキの塀といいとても路地らしい路地です。 
 
 大正元年の地図をみると、現在の高松通りから東側は小田原田んぼといって田んぼが広がっていたようです。

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 この路地は田んぼの中の畦道が残り路地となったと思われます。


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仙台市、四ツ谷用水跡の路地。

2017-12-03

 仙台の路地は多くが水路跡にできたものです。
 その中でも真打ちはやはり四ツ谷用水跡の路地と思います。
 2年前にブラタモリで紹介されて以来、仙台市民の間にも四ツ谷用水に注目が集まっています。
 
 伊達政宗が築いた仙台の街は、広瀬川から20メートルも高い河岸段丘上に造られた為、広瀬川から直接水を引くことはできませんでした。そこで広瀬川の上流から用水を引き、この水で仙台城下に給水しました。四ツ谷の意味は4つの谷を水道橋で超えていることが由来のようです。仙台市西部の郷六地区から始まり、現在の八幡町、柏木町等を通り、北六通りを東に流れ宮町で梅田川に注いでいました。
 現在は暗渠となっていますが、大崎八幡から土橋通りにかけて暗渠が一部路地となっています。
 大崎八幡の入口から歩きます。 
 四ツ谷用水の説明書きがあります。

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 大崎八幡の階段の手前に橋が架かっており、ここを用水が流れていました。 

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 住宅街の隙間を暗渠が通ります。
 
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 何カ所かで住宅入口への専用の小さな橋が架かっています。 
 とても不思議な光景ですが江戸時代から現在に至っているのでしょう。
 
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 春日神社の前で暗渠と沢が立体交差します。四ツ谷用水暗渠の下を四つの沢の一つへくり沢の暗渠が流れています。

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 ここから土橋通りまで暗渠の上が路地となっており歩くことができます。

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 途中、丁度「土橋内科」さんの裏に「洗い場」跡があります。

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 そのあと土橋通りに突き当たります。そこから東側には進めません。
 
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 仙台の歴史を感じるとても素晴らしい場所です。 
 仙台市民でもここを知らない人は多いのではないでしょうか。

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京橋、ビルの合間の路地。

2017-11-23

 
 以前、京橋の路地を歩きましたが、この時は中央通りから東側の2丁目から1丁目にかけてでした。
 今回は中央通りから西側です。  
 場所のイメージとして八重洲スーパーホテルの向かい側、三井ガーデン京橋の裏側です。
 
 周辺はオフィス街です。舗装され一見道路のようです。車は入れそうですがT字路を曲がることはできそうもありません。
 標識もありません。不思議な道です。定義的には路地ではないのかもしれませんが江戸時代に町人町として区分された町割りが長い歴史を経てこんな感じで現在に至っているのかなと思います。 

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 その1丁南には有名な焼き鳥屋さん。ここにも路地があります。
 
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 この路地の南側は空き地となっており工事中のようです。
 
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 銀座に限らず京橋も次々新しい建物が建っていきます。街は新しくなっていきますが路地は今迄通り残ることと思います。

 

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五反田、島津山の路地。

2017-11-12

 五反田近く、島津山の路地です。
 東急池上線で戸越銀座駅を利用することが多くなり、その為五反田駅を乗り換えで利用します。
 しかし今迄五反田駅の改札口を出たことはなかったのですが、たまたま時間があったので周辺を散策してみました。

 城南五山の一つ、島津山方面へ。 
 城南五山とは、東京目黒から品川にかけての五つの高台の総称です。 
 この辺は仙台藩伊達家が下屋敷を構えていた地です。明治時代に旧鹿児島藩主島津公爵の邸宅となり、昭和に入り清泉女子大のキャンパスとなったようです。(TOKYOさんぽ から)島津山の由来

 清泉女子大北側の階段です。

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 登って通りを北へ歩くといかにも路地の入口といった階段が。今回も偶然路地を見つけました。

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 寿昌寺の私道の路地です。路地沿いにはアパートが。正面には品川駅前のホテル群が。

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 小高い丘の上にある寿昌寺の敷地内を通り、下り坂へ。閑静な高級住宅地が続きます。 偶然見つけた五反田の路地です。この周辺の予備知識は全くありませんでしたので、今度訪れる際は少し勉強してから歩いてみたいと思います。
 

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その後の東北大学農学部跡地。

2017-10-22

 
 仙台市中心部にあった東北大農学部は昨年イオンモールに売却され、現在解体が急ピッチで進んでいます。
 
 解体前の農学部の風景。今年の春頃。

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 少し前、夏頃の風景。

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 最近の風景。

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 当初思っていたほど樹木は残っていません。ほとんど伐採されてしまいました。雨宮神社側はまだ少し残っています。
 旧勝山ボウル跡地と合わせるとかなり広大な空き地です。

 

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本郷、菊坂周辺の路地。

2017-10-09

 
 本郷、菊坂の路地です。樋口一葉はじめ多くの文豪が住んでいたことで有名な場所です。

 本郷通りから菊坂に入ります。緩やかな下り坂です。一葉にちなんだ周辺の案内図もあります。この辺はごく普通の商店街にみえます。

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 少し進み右手には金魚問屋のある金魚坂。

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 その先を左に曲がり直ぐ右に折れると菊坂と並行に通る道となります。
 この道は下道と呼ばれており、2本の道が平行して通る珍しい通りです。

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 なぜこのような道ができたか?菊坂の北東が町人地で、南西側が武家地であったことから各々にアプローチする道が通され、高低差のある2つの道は何カ所か階段で繋がるだけで別世界をつくりだした、と岡本哲志氏は考察されています。(岡本哲志著、「江戸東京の路地」から)

 右手には菊坂に通じる階段。
 
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 ここに宮沢賢治が住んでいたという案内図があります。この階段の反対側とのことですが今は普通のアパートが建っています。

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 段差を利用した木造3階建ての住宅。

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 更に進むと左手に路地の入口が。

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 一葉が使っていたという井戸。
 
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 この階段を上って進むと鐙坂に繋がる路地となります。後から気付きました。

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 一旦戻って初めの路地を南に進むと大きな上り階段となっています。 

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 炭団坂というそうです。

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 階段の上から下を見下ろすと、菊坂が谷地となっていることがよくわかります。
 
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 崖っぷちの路地を西へ進むと鐙坂に通じています。

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 鐙坂を下ると右手に金田一京介の旧居跡。
 
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 その北側に左に入る細ーい路地があります。ここを進むと先程の一葉の井戸があった路地に繋がるようです。 残念ながら住人の方がおられ足を踏み入れられませんでした。

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 鐙坂を下から見上げたところ。
 
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 坂の名や名所が記載された文京区教育委員会のパネルがとても参考になりました。 
 
 北の菊坂台地、南の真砂台地に挟まれた谷の窪地にあるこの菊坂は、北東に町人町、南西側は武家屋敷であった歴史からか、菊坂、下道を境に異なる空気を感じます。井戸が幾つか残る下道の路地に足を踏み入れると数十年前にタイムスリップした感覚となります。とても貴重な場所と思います。今回も天気が今一つでしたのでまた天気のいい日に訪れたいと思います。

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