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最新記事一覧(サムネイル画像付き)

品川宿、迷路状の路地。 Oct 14, 2018
東京、月島の路地。 Sep 09, 2018
駿河台の男坂、女坂。 Aug 19, 2018
現在の東北大学農学部跡。 Jul 22, 2018
東北大学農学部跡地が一部引き渡されました。 Jun 24, 2018
銀座3丁目の路地。 Jun 10, 2018
東京、佃の路地。 May 13, 2018
京都の路地。 May 03, 2018
「へくり沢」の暗渠、「あか道」。 Apr 08, 2018
通町水路跡の路地と新坂町水路跡の路地の接点。 Mar 04, 2018
谷根千、荒川区側の路地と富士見坂。 Feb 04, 2018
赤坂の路地。 Jan 21, 2018
谷根千、谷中の路地。 Jan 02, 2018
仙台市、小田原の路地。 Dec 17, 2017
仙台市、四ツ谷用水跡の路地。 Dec 03, 2017

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品川宿、迷路状の路地。

2018-10-14

 江戸、日本橋を始点に東海道を進むと一番目の宿場町が品川宿です。
 東に江戸湾の海、西に桜の名所御殿山があり風光明媚で、旅籠屋も多くとても栄えていたそうです。 
 そういえば今NHKで放送されている「西郷どん」で、「ひい様」こと一橋慶喜が船に乗って旅籠に通っていたのもここ品川宿でした。
 旧東海道の現在。

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 この街道から西側、養願寺周辺に井戸のある迷路のような路地があります。 
 新馬場駅から旧東海道に向けて歩きます。

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 住宅街の何気ない路地を進みますが迷路状で方向感覚がやや混乱してきます。

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 路地にある井戸。

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 方向感覚がつかめず北品川公園の周りの路地をうろうろします。
 
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 井戸のある路地を何回がぐるぐる回りやっと旧東海道にでます。 

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 昔はこの旧東海道から東はすぐ東京湾の海でした。 
 旧東海道から東側にある細くて長ーい路地。

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 海が埋め立てられていく過程で残った路地と思われます。 
 

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東京、月島の路地。

2018-09-09

 月島は先日歩いた佃のすぐ南側に位置しています。しかし江戸時代以前からあった佃とは違いすべて明治時代以降埋め立てられてできた場所です。
 月島の町割りは、江戸時代の町割りと同じように120メートル四方のブロックを半分とした120メートル×60メートルの街区となっています。そこに約2メートル幅の路地がいくつも通っています。
 
 月島駅からもんじゃストリートを南下すると両側に多くの路地がみられます。

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 路地の上を通る空中廊下。とても貴重と思います。

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 どの路地も緑が手入れされとても清潔です。 
 そして猫が多いのもここの路地の特徴でしょうか。

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駿河台の男坂、女坂。

2018-08-19

 東京の山の手は武蔵野台地の表面を幾つかの河川が谷を刻み、起伏の多い地形を呈しています。
 タモリ氏の「TOKYO 坂道美学入門」や皆川典久氏の「東京スリバチ地形散歩」等、江戸東京の坂や地形に関した書物も人気があるようです。下町である日本橋、京橋、銀座以外の山の手の路地は、いずれもこの地形が関係しています。例えば今迄歩いた神楽坂、荒木町、本郷菊坂、麻布十番、戸越銀座等の路地です。これらの路地を歩いていると高低差があり、地形を強く意識させられます。
 路地とは少し違いますが、駿河台にも高低差のある崖を繋いだ階段があります。

 男坂と女坂です。

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 神田駿河台のとちの木通りを進むと急な階段があります。

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 階段の途中に男坂の標識があります。直線的な階段であるため「男坂」と名付けられたようです。

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 猿楽通を北上し、右手の路地を進むともう一つ急な階段があります。
 
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 こちらは女坂です。2か所の踊り場のある緩やかな階段の為、女坂とのこと。

 江戸時代以来、駿河台と猿楽町の間は急な崖で通路がありませんでした。大正十三年、関東大震災後この階段が造られました。路地ではありませんが地形と歴史を強く感じます。

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現在の東北大学農学部跡。

2018-07-22

 解体が終わり一部引き渡しされた東北大学農学部跡です。
 フェンスのシートが剥がされて広く見渡せる状態になりました。しかし一部マンション建設が始まった北東部は高いフェンスが設置されています。いずれ他の場所も高いフェンスが設置されるでしょうから見渡せるのは今だけと思います。
 北八と堤通の角。

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 何本かの樹木が集まって植えられています。いずれ植え替えされるものと思います。

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 堤通りから東方面を。広さが分かると思います。
 
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 北六通り側から。
 
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 ブルーシートで覆われていた粟野観音像ですがシートが剥がされていました。移動予定なのでしょう。
 
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 粟野観音とは、40年以上にわたり旧制二高で英語を教えていた粟野健次郎教授の人柄を慕い教え子が建てたそうです。銅像を建てたいとの申し出を断り代わりに観音像が建てられたとのことです(大和田 雅人著 「四ツ谷用水 光と影」から)。
 
 そして北六と愛宕上杉通りの角からはなんと中山の観音様がみえます。
 
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 これも今だけの景色です。

東北大農学部。 コメント: 0 トラックバック: 0

東北大学農学部跡地が一部引き渡されました。

2018-06-24

 約1年半かかり解体された東北大学農学部跡地の一部は整地も終わり購入業者に引き渡されたようです。
 北東角のエリアではすでにマンション工事が始まりました。
 南東のエリア、イオンモール建設予定地は土壌汚染が予測より多く、土壌改良?に時間がかかったようで、地面を深く掘り下げて土を入れ替えていました。こちらもだいたい終わった様子です。 
 高い塀が撤去され、広い空間が出現しています。市街地でこれだけ広い敷地はここが最初で最後でしょう。 
 
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 雨宮神社だけ昔のままです。
 
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 この地に農学部ができたのが1947年、その前はここに旧制二高がありました。旧制二高はそれ以前は片平にありましたが、東北帝国大学が同じ片平に創設された為、片平が手狭になってしまいました。ここで地元の名士、伊沢平左衛門氏が「お国の教育の為ならわたしの土地を無償で提供しましょう」とこの地を寄付したとのことです(大和田 雅人著 「四ツ谷用水 光と影 仙台・消えた遺産を追う」から)。 
 一個人がお国の為に寄付した土地に、時代は変わったといえショッピングモールやマンションが建つ。なんとなくしっくりしません。しかし青葉山に移転した東北大農学部が、そして農学部以外の学部も新しい研究施設で今迄以上の研究、教育を実践してもらえれば皆が納得するのではないかと感じてます。

 

東北大農学部。 コメント: 0 トラックバック: 0

銀座3丁目の路地。

2018-06-10

 岡本哲志氏の「東京 路地裏ブラ歩き」をバイブルとし、この一年で一通り主だった路地は歩いてきたつもりです。
 これからは書物に載っていない、いい路地を見つけていければと思います。

 先日銀座を歩いていて、一つだけまだ歩いていない路地があったことを思い出しました。「東京 路地裏ブラ歩き」に記載されている「銀座モリタビル」と「STB9ビル」の間から入る路地です。
 「煉瓦街の跡」「2階建ての木造家屋」などそそる言葉での紹介が同書に載っていますが、実は今迄探すことができませんでした。この路地の出口は丁度、登亭さん裏の「宝童稲荷神社」のある路地の松屋通りを挟んだ向かい側です。
 松屋通り側から路地を覗いてみます。
 西側が工事中の為あまりに狭く、部外者は侵入できない雰囲気です。
 
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 これ以上は進めませんでしたので「STB9ビル」、現在は「サカイリ9ビル」側から入ってみます。
 こちらも北側、西側は工事中でフェンスの為、狭すぎて進入困難でした。

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 仕方のないことですが特に銀座は風情のある建物が壊され、次々新しいビルに変わっていきます。周辺の工事中のビルが完成した際にこの路地がどうなっているのか、その頃また訪れたいと思います。 

東京・銀座の路地歩き コメント: 0 トラックバック: 0

東京、佃の路地。

2018-05-13

 東京、佃の路地です。
 今迄歩いた東京の路地で一番路地らしい路地と感じました。
 
 昔ここは隅田川河口の島でした。徳川家康が江戸に入城する際、摂津「佃村」の漁民達を呼び寄せ漁業権を与えたことから「佃島」と呼ばれるようになったとのことです。本能寺の変の際、堺にいた家康が岡崎城に戻るのを摂津・佃村の漁民達が助けたという経緯があったようです。

 現在の佃は北側にタワーマンションが林立し、南側は月島のもんじゃストリートで賑わっていますが、佃1丁目のブロックのみひっそりと昔の佇まいが残っており周辺とは別世界です。

 有名な佃天台地蔵尊の路地から。 
 路地の中、それも家の中に銀杏の木が残っています。

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 少し離れて眺めると密集した住宅の真ん中に大きな銀杏の木が見えます。

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 赤い佃小橋の架かる船溜まりの両側に路地が多数通っています。

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 どの路地もこざっぱりで清潔です。新しい家や佃煮の店もありますが基本的にはすべて住居であり、人の手が入っていない昔のまんまの路地を感じます。

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京都の路地。

2018-05-03

 先日所用で京都に行ってきました。私が路地歩きに興味をもってからは初めての京都です。 
 江戸東京の町造りは京の都を手本に造られました。特に日本橋、京橋、銀座といった町人町は京間六十間(118m)の町割りが今でも残っており、特に京橋にはこの中を通る路地が多く残っています。
 
 今回の京都は仕事の合間の時間はほとんどなかった為、予習なしで歩いてみました。
 
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 白川に沿って歩きます。少し勉強してみましたが琵琶湖疎水と白川の関係がまだ理解できていません。
 手摺のない白川沿いの路地。
 酔っぱらって川に落ちる人がいないのか不思議です。

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 少しそれると普通に路地が。

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 川に架かる一本橋も怖くて渡れません。

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 祇園付近へ。川に架かる自宅への橋。珍しい光景です。そういえば仙台の四ツ谷用水跡にも同じような個人宅の玄関に架かる橋がありました。現在の建築法上はどうなっているのでしょう。

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 祇園の路地。ここは観光地です。

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 少し南下して「あじき路地」まで。

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 さすが京都は町自体に歴史を感じます。路地の元祖ですから探さなくても普通に路地があります。
 もしまた来る事があれば予習して路地歩きをしたいと思います。 

 

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「へくり沢」の暗渠、「あか道」。

2018-04-08

 かつて国見の山から八幡を流れ広瀬川に注ぐ川が流れていました。「へくり沢」と呼ばれていたようです。広瀬川に注ぐ尚絅学院脇の谷や、四ツ谷用水と立体交差する春日神社周辺は「ブラタモリ」ですっかり全国区になりました。
 今回は春日神社付近から「へくり沢」跡の「あか道」を上流に登ってみます。

 四ツ谷用水との立体交差地点。
 
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 地区ごとに丁寧な説明文があります。

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 春日神社脇から「あか道」を進みます。 
 昭和40年代に水路が下水道化され、歩行者専用道路となった時に道が赤く塗装された為、「あか道」と呼ばれるようになったとのことです。谷根千、藍染川跡の「へび道」を連想します。
 
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 「あか道」の地面からは水の流れるかなり大きな音が聞こえます。暗渠化されてもかなりの水量が地下を流れていることがわかります。 
 
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 江戸時代の地図をみると結構大きな川であったようです。(「江戸時代の仙台を歩く 仙台地図さんぽ」から)
 
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 大正元年の地図では田んぼの中を流れる小川のように見えます。(「100年前の仙台を歩く 仙台地図さんぽ」から)
 
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 地元の方には当たり前のことでしょうが、こんなところに「あか道」があったとは大きな驚きです。

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通町水路跡の路地と新坂町水路跡の路地の接点。

2018-03-04

 北山五山の麓、北仙台教会裏、通町の路地は昔水路でした。 
 北仙台教会裏を東から西へ進みます。

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 一旦道路となり、酒のやまやさんの裏でまた路地となります。

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 青葉神社通りを横切りまた路地を西へ進みます。

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 しばらく進むと覚範寺下の通りで路地は終点となります。

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 そこから少し南に下り北山トンネルへの大通りを超えると秀林寺の南を通る新坂町、水路跡の路地の入口があります。入口はとても狭く注意しないと気付きません。が、進むとカーブを描くとてもいい路地となります。

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 この二つの路地はともに水路跡ですが南北にズレがあり一見同じ流れではないようです。 
 どう関連しているのか疑問に思っていましたが、偶然古地図で見つけて解決しました。
 
 明治時代の地図では秀林寺南の水路は途中で途絶えています(「100年前の仙台を歩く 仙台地図さんぽ」 から)。
 
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 しかし江戸時代の地図では二つの水路は南北に走る水路でつながっているのがわかります(「江戸時代の仙台を歩く 仙台地地図さんぽ」 から)。
 
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 ここ1年疑問に感じていたことが解決し、嬉しい気分です。

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谷根千、荒川区側の路地と富士見坂。

2018-02-04

 日暮里西口から谷中銀座までの通りから北側は荒川区でした。 
 この辺りは荒川区、文京区、台東区の境界線が複雑に走っています。

 本行寺と経王寺の間の路地です。

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 細長い路地が何カ所かでクランクしており歩いていてわくわくします。

 本行寺は上野台の高台に位置し、景勝地であったことから「月見寺」ともよばれていたとのことです。
 その隣の経王寺は、慶応4年、上野戦争に敗れた彰義隊をこのお寺が匿ったことから新政府軍の攻撃を受けました。山門にはその時の銃弾跡が残っています。
 
 路地を進むと左折し諏訪台通りにでます。
 通りを少し北上すると左手に富士見坂。

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 都内に多くある富士見坂の中で最後まで富士山が見えていたのがこの富士見坂とのこと。しかしビルが多くなりついに富士山が見えなくなってしまいました。その過程が年代ごとに写真で提示されています。

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赤坂の路地。

2018-01-21

 赤坂の路地です。
 赤坂には文字通り多くの坂があり、この坂を通る階段の路地もいくつかみられます。
 今回は赤坂見附に近い3丁目、4丁目の路地です。
 一ツ木通りからみすじ通りに通る路地が平行して何本か通っています。

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 昔(バブル期)と比べると赤坂の街も随分変わったようです。
 夜になれば灯が灯り雰囲気も変わるのでしょう。
 
 一ツ木通りからコロンビア通りへ。途中に丹後坂の階段。
 
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  下りの階段。 

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 この向かい、円通寺通りに抜ける鍵型の路地があります。

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 江戸時代の古地図を見ると(山本博文監修 「古地図で歩く江戸・東京」から)、丹後坂の南側に鍵型の道があります。今回の路地と一致します。丘の上に大名屋敷が、丘の下に小役人の住居があったようです。

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谷根千、谷中の路地。

2018-01-02

 「谷根千」とは谷中、根津、千駄木の頭文字をつなげた造語でこの三地域を指す総称です。以前発刊されていた地域雑誌「谷根千」がその由来となっているようです。
 この辺りには戦災の被害が少なかったこともあり魅力的な路地が多く残っています。また上野台、藍染川の谷、本郷台と起伏に富む地形も魅力的です。
 今回も岡本哲志氏の「東京 路地裏ブラ歩き」「江戸東京の路地」を参考に歩いてみました。 
 地域が広く、いい路地がとても多い為、今回は諏訪台通り両側の路地です。
 諏訪台通り、台東区「まちかど賞」の風情ある町屋。
 
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 諏訪台通りから谷中霊園方向への路地。

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 ここから初音小路裏へでる路地へ。ここはかなり複雑で予習しても1回で理解不能です。

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 日暮里西口からの通りに出る前に左折がポイントです。この路地はgoogle Mapには載っています。

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 僅かなスペースを通り初音小路へ。ノスタルジックですがとても清潔感があります。

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 諏訪台通りを反対側へ。 
 ここから七面坂へ抜ける路地が数本、迷路状に通っています。
 
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 日暮里西口から谷中銀座にかけては地元の人のみならず観光客がとても多い通りです。諏訪台通りも散策する観光客が多くみられました。しかし当然ですが一歩入った路地に人通りはありません。どの路地もとても清潔です。路地にはそこに住まう方の生活感が感じられます。
 路地を歩く際にはそこにお住まいの方の迷惑にならないようにとこれからも心掛けていきたいと思います。

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仙台市、小田原の路地。

2017-12-17

 路地に興味を持ち始めた頃、ネットで仙台の路地を検索していてこんな動画を見つけました。
 仙台 路地 小田原

 自転車で小田原の路地を走っているらしき動画です。
 これを見て、「あ、あの路地だ」、と懐かしくなりました。
 約40年前、小学生の頃。この辺りを自転車で走り廻っていましたが、この路地を通っていた記憶があります。

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 住宅地の中のなにげない路地ですが、狭さといい青いブリキの塀といいとても路地らしい路地です。 
 
 大正元年の地図をみると、現在の高松通りから東側は小田原田んぼといって田んぼが広がっていたようです。

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 この路地は田んぼの中の畦道が残り路地となったと思われます。


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仙台市、四ツ谷用水跡の路地。

2017-12-03

 仙台の路地は多くが水路跡にできたものです。
 その中でも真打ちはやはり四ツ谷用水跡の路地と思います。
 2年前にブラタモリで紹介されて以来、仙台市民の間にも四ツ谷用水に注目が集まっています。
 
 伊達政宗が築いた仙台の街は、広瀬川から20メートルも高い河岸段丘上に造られた為、広瀬川から直接水を引くことはできませんでした。そこで広瀬川の上流から用水を引き、この水で仙台城下に給水しました。四ツ谷の意味は4つの谷を水道橋で超えていることが由来のようです。仙台市西部の郷六地区から始まり、現在の八幡町、柏木町等を通り、北六通りを東に流れ宮町で梅田川に注いでいました。
 現在は暗渠となっていますが、大崎八幡から土橋通りにかけて暗渠が一部路地となっています。
 大崎八幡の入口から歩きます。 
 四ツ谷用水の説明書きがあります。

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 大崎八幡の階段の手前に橋が架かっており、ここを用水が流れていました。 

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 住宅街の隙間を暗渠が通ります。
 
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 何カ所かで住宅入口への専用の小さな橋が架かっています。 
 とても不思議な光景ですが江戸時代から現在に至っているのでしょう。
 
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 春日神社の前で暗渠と沢が立体交差します。四ツ谷用水暗渠の下を四つの沢の一つへくり沢の暗渠が流れています。

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 ここから土橋通りまで暗渠の上が路地となっており歩くことができます。

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 途中、丁度「土橋内科」さんの裏に「洗い場」跡があります。

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 そのあと土橋通りに突き当たります。そこから東側には進めません。
 
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 仙台の歴史を感じるとても素晴らしい場所です。 
 仙台市民でもここを知らない人は多いのではないでしょうか。

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